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働く子どもの姿を紹介

クリスティアン ダニーロ モンテサ(14歳)
クリスティアン
クリスティアンは小学校3年の時に学校に通うのをやめた。
家を訪ねると、乾燥した唐辛子の山を前に黙々と作業を続ける母親のアメリア(54歳)がいる。その脇では、子豚やニワトリに交じって、生後1か月位の子猫が3匹チョロチョロと動き回っている。
「あぁ、この子たちはねぇ、ゴミ溜めの中に捨てられていたのを娘が拾って来たんだよ。この子たちにだって生きる権利があるんだからね。」子猫たちは、所々傷を負っているが、家族から大事に扱われているせいもあってか怯えた様子はなくのんびりとくつろいでいる。

「乾燥した唐辛子は、知り合いの人が運んでくるの。こうやってね、中から取り出した種を集めておいて、持ってきてくれた人に戻すのよ。」母親は、朝6時に起床後、簡単に身繕いをして朝食を済ませるとすぐに、唐辛子の柄を切り取り、種を取り出す作業を始める。大体、1週間働きづめで、80〜90キロの唐辛子を剥くことができる。種を取り出した唐辛子は1キロあたり1ソルで買い取られる。月の収入は200〜250ソーレスになるが、もちろん収穫のない時期にはこの仕事は回ってこない。他にソラマメの皮むきなどの仕事も依頼されることがある。
トウガラシを?くクリスティアン母「こうやって、唐辛子を剥き続けると指先がひりひりしてくる。子供たちはそれを嫌がってあまり剥きたがらない。私だってもちろん痛いけど、そんなことは言っていられないからね。」

飼っていた豚が出産、最初の2匹を生み下ろした後、残りの5匹をおなかの中に残したまま死んでしまった。生まれた直後に母親を失った2匹の子豚を不憫に思った母親は、その2匹を自宅に連れ帰り育てることにした。
「豚だって生きる権利があるからね。普通に残飯を食べられるようになるまでは、毎日牛乳を買ってきて飲ませたよ。ほんとにお金がかかったけどね。」

母親は、娘のフィオレラ(10歳)に子豚をきれいに洗ってあげるように指示した。子豚はいつもきれいに洗ってあげないと病気になって大きく育たない。
豚のエサは、近所からもらいうけた残飯をバケツに貯めておき、朝晩二回、自宅うらの岩山に作られた豚小屋まで運ぶ。
クリスティアンと妹のフィオレラは、残飯と水を豚小屋に運ぶ作業を手伝うが、最近7匹の子豚を出産したばかりの母豚に餌をやることはない。子豚を守るために警戒心を強めている母豚は、心を許しているクリスティアンの母親以外が小屋に入ると噛みついてくる。
豚のエサを盛る皿は、タイヤを縦に割って半分にしたものが使われている。豚は何故か、食事が盛られるそのタイヤの上を排便場所と決めているようで、タイヤ付近は糞尿まみれであった。
豚に餌をあげるクリスティアン母 小屋の中に入った母親は、何を気にするでもなく、タイヤの中の糞尿を手ですくって取り出した後、わきに置いてある雑巾でタイヤを丁寧に拭き始めた。そして、クリスティアンから残飯の入ったバケツを受け取ると、タイヤからこぼれないよう丁寧にエサを盛りつけた。
豚小屋は、家族や親せきの手で岩を一つ一つ積み重ね、時間をかけて作り上げた。

豚は1年くらいで売り物になる大きさに育ち、一頭当たり250〜300ソーレスくらいで買い取ってもらえる。家族や親戚が病気にかかるなど急にお金が必要になった場合は、母親自身が豚をさばいて料理し、近所の人に売ることもある。
豚小屋の入口付近には、同様に岩を積み上げて作られた小さな部屋があり、その中には簡素な寝床が用意されていた。
夜中に豚を盗まれないように、住居を持たない男性に泊まってもらい見張り番をしてもらっているのだ。
「時々、上の崖のほうから恐ろしい声が聞こえることがあるよ。あれは、きっと妖怪に違いないね。」

妹のフィオレラは、現在小学4年生。今までに一度、留年を経験している。フィオレラは街の公立小学校に通っているが、教科書代の13ソーレスが払えるまで学校に来てはいけないと担任の教師に言われたため、今は学校に通っていない。
制服も買えない。スカート16ソーレス、ブラウス6ソーレス、ネクタイ2ソーレス、体操服32ソーレス。
妹のフィオレラ9歳 「去年の絵の具代10ソーレスも払えと言われているんですよ。プリント代、筆記用具、学校の掃除婦への支払い。学校が無償だなんてとんでもない、何をするにもお金ばっかり要求されますよ。教科書代の13ソーレスだって、この唐辛子剥きのお金が土曜日には入るからその時に支払うって言っているのに、先生たちは全く理解してくれない。いったい、どっからお金を引っ張りだせばいいって言うんですか?」
クリスチャンが話始める。

「月曜から金曜にかけて働く、土曜日はたまに働き、日曜日は働かないようにしている。働いたお金のほとんどは自分の身の回品やおかしを買ったりするのに使うが、たまに1ソル、2ソル程度を母親に渡す。僕の友達も働いている子がいるよ。
前は一緒に働いていた時があったけど、今はもう働いてない、どうしてかは分からないけど。
前の学校に通っていた時も働きながら勉強していた。それから一時期学校に通うのをやめて働いてばかりいた。そこの学校で働いている子供もいたけど、ほとんど飴玉を売っているていどだったね。」

父親は同居しており、時折左官の仕事などを見つけては出かけるが、アルコール依存症で経済的にはあまり期待できない。(1ソル = 32円 2009年4月時点)

※このクリスチャン君についてはYou Tubeの動画にてミニドキュメンタリーを見ることができます。
さらに上記の文章は2009年8月1日に行われた「永山子ども基金主催 ペルーの働く子どもたちへ 第6回チャリティートーク&コンサート」の別冊パンフレットに掲載されたものです。?Asociacion Cussi Punku
 

ホビータ・マユミ・ベナナノ(12歳)
ホビータ
国営放送で時折流される日本のドラマが大好きだった母親は、ドラマの登場人物の名前を自分の娘たちにもつけたのだ。
ホビータは5人兄弟の末っ子。現在は、母親と3人の兄弟(二女のスミカを除く)と共に暮らしている。
長女は、15歳の時に親戚の叔母をつたってリマに移住し、住み込みの家政婦として働きはじめた。プカルパの生活では食べ物に困ることはなかったが、現金収入を得ることが困難なこと、リマの生活に馴染んだ長女がリマで一緒に暮らそうと提案してきたこともあって、3年前に家族揃って移住することになった。

ホビータの家族は 首都リマの北東約850qに位置する、アマゾン地帯のウカジャリ県プカルパの出身。母親は、15歳の時に最初の子供を出産した。約300uの小さな畑で、キャッサバ、バナナ、空豆、フリホール豆などを栽培しては自家消費に充て、細々と暮らしていた。 現在、家族はリマ東部の低所得者居住区の一つである、アマソナス地区で、ベニヤでできた簡素な作りの家を建てて暮らしている。この地区の住民のほとんどは、アマゾン地方出身者であり、現在 約50世帯が暮らしている。
ホビータの父親と母親は6年前に別居したため、生計は母親と子供たちの稼ぎのみで成り立っている。

ホビータのことを語る母親「ホビータは本当に私のことをよく助けてくれますよ。この子は働くことも好きだけど、やっぱり勉強もしたいといっています。けれど、私にはほとんど稼ぎがありませんから、教科書やノート、制服なんかも買ってあげられないし・・・。この子ももう大きくなったから、やっぱりそういうことを恥ずかしく感じているんですよ。けれど、いつかお金が入るようになったらそういったものもちゃんと買い揃えてあげたいと思っています。」

母親は3ヶ月前に盲腸を患い手術を受けたが、術後も痛みが治まらず、いまだ仕事に出かけることができない。最近知り合った男性が、時折、米や油などをもってきてくれるが暮らし向きは決して楽ではない。
ホビータは今12歳。学校へは小学2年生までしか通っていない。出生地のプカルパで小学校に入学したのは9歳の時で、プカルパで1年、リマで1年それぞれ学校に通ったという。教科書や制服が買えなかったため、学校へ行くのをあきらめた。ホビータの兄弟も皆、それぞれの理由で学業を途中で断念している。
学業を断念した後、ホビータは街の公設市場で母親と共にフルーツを売り歩いていたが、ある日、近所のおばさんからアレハンドロ・クシャノビッチ学校の存在を聞き、再び学校へ通いたいと思うようになった。

「働くことも好きだしお母さんのお手伝いも好きだけど、やっぱりちゃんと勉強したい。」

ホビータ アレハンドロ・クシャノビッチ学校では、小学3年生〜6年生にあたる高学年クラスに在籍しているがホビータだが、今まで字を充分に学ぶ機会がなかったため、時折低学年クラスにも参加し、読み書きを習っている。最近、自分で読み書きができるようになったことがとても嬉しいと、彼女は語る。
ホビータは、朝6時に起床し身支度を済ませた後、7時過ぎには学校へ出掛ける。午後1時頃には自宅へ帰り、昼食をとり皿洗い、部屋の掃除、洗濯など母親の仕事を手伝った後、宿題を済ませたり本を読んだりするという。
ペルーでは、公衆電話から携帯電話にかけると通話料が高くつくという理由から、街角に携帯電話を数台持って立ち、客に貸しては通話料をとるという商売に携わる人達がいる。ホビータは、ごく最近まで、街に出て毎日この仕事に携わっていたが、今は週に数度の割合で働いている。
ある日、ホビータが仕事に出かけるというので同行した。仕事場となる病院の前に到着すると、そこには年配の男性が待っており、その男性は仕事用のチョッキと携帯電話をホビータに手渡した。

父親がいない食卓後に、携帯電話を手渡したこの男性はホビータの父親であるということが分かった。父親は現在一人で暮らしており、妻、つまりはホビータの母親が男を作ってしまったために、自分はもう家に戻れないのだということ、必要なものも十分に買えない子供たちを不憫におもって、自分の仕事を手伝わせて小遣いを与えていることなどを語った。(1ソル = 32円 2009年4月時点)

※このホビータさんについてはYou Tubeの動画にてミニドキュメンタリーを見ることができます。
さらに上記の文章は2009年8月1日に行われた「永山子ども基金主催 ペルーの働く子どもたちへ 第6回チャリティートーク&コンサート」の別冊パンフレットに掲載されたものです。?Asociacion Cussi Punku
 

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